GPL とか free software とか

人づてに FDclone が載ってると聞いて前から探してた「Linux Zaurus Super Guide」ですが、今日たまたま見つけたので早速買ってみました。既にりなざうのバイブルとか言われてて、私がその存在を知った頃にはどこ行っても売切れだったんですよね。
でも肝腎の FDclone の扱いは本当に「ついで」でしかなくてがっかり。しかも license を勝手に「GPL」とか書いてあるし。ぷっつんです。

GPL って私にはどうしても馴染めないんですよね。RMS の言い分も判るんだけど、そこまで極論に走らなくてもいいじゃんてのが普通の反応だと思う。
で、RMS はまだいいんですが、その周辺にいる連中が私には認めることが出来ません。GPL とか free software とか声高に唱えてる連中って、結局は RMS の真意を理解しないままに GPL を扱ってるんですよね。いいように利用してるだけの連中だって結構多いし、ESR とか FSIJ とか。

Linus にしろ Andrew にしろ、一旦 GPL を適用して release した source を途中で別の license に変更して平気な顔してるってのは信じられない行為だし、それを許してしまっている GPL の存在ってのも全く信用に値しないし。
GPL だと信じて contribute した patch workers の想いを無視しているという点では、GPL の発端となった Gosling と同じことやってる訳で、そんな輩が GPL を語るなんぞ糞食らえなのですわな。

とゆー訳で、私は神経質なまでに GPL products とは距離を置いています。glibc を含む binary を自身の手で頒布しないのも、Samba への contribute を必ず第三者の手を経由して行なってたのも、全部 GPL を信用してないからです。
「感染性」と揶揄される GPL そのものの性質も恐いけど、それ以上に GPL の本質を理解しないまま GPL を云々する連中が後を絶たないので、RMS 以外の人間が語る「GPL」なる代物は私にとって得体の知れない存在でしかないという次第です。